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 千葉縣護國神社  棟梁 東海桃太郎
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釿始式(ちょうなはじめしき)の様子です。

釿とは手斧のことで、釿を以て用材を造り始める儀式です。 工匠(宮大工)は侍鳥帽子、直垂(ひたたれ)姿で釿始を行います。

棟札(むなふだ)今回の事業を後世に伝える、貴重な資料です。 昭和17年8月5日上棟祭 中央左上

棟梁 東海桃太郎と記されています

曳綱の儀(ひきつなのぎ)。棟木を棟まで引き上げる儀式です。綱を持って、「えい、えい、えい」と、掛け声を掛けてひきます。 上棟式 工匠は侍鳥帽子、直垂(ひたたれ)姿です。
作業風景 

大勢の職人の奥、棟梁桃太郎です。

昭和16年9月11日

千葉縣護國神社御造営中

工事請負人 奥谷熊之輔氏より

棟梁 東海桃太郎に宛てた葉書

昭和18年3月

千葉縣護國神社 社務所

昭和18年 千葉縣護國神社 昭和18年3月 

亥鼻山の大鳥居です。

昭和18年(1943年)に新社殿が竣工 感謝状 昭和18年5月25日
  千葉縣護國神社 〜御由緒・沿革〜

 千葉縣護國神社 (公式HP)

 千葉県千葉市中央区にある神社(護国神社)である。

戊辰戦争以降の国難に殉じた千葉県関係者の英霊を祀る。

 歴史

 明治11年(1878年)1月27日に千葉縣招魂社として創建され、
明治維新で亡くなった佐倉藩の安達直次郎盛篤ら16人の霊が祀られた。

 昭和14年(1939年)、招魂社の制度がを護国神社に改められるのに伴い
千葉縣護國神社と改称した。

 元の鎮座地は千葉県庁公園内で、
明治22年(1889年)に千葉神社境内に遷座したが、境内が狭いことから、

昭和12年(1937年)より亥鼻山への遷座がすすめられた。

 昭和18年(1943年)に新社殿が竣工し、同年4月19日に鎮座祭が行われた。

しかし、昭和20年(1945年)7月、
千葉市街の大半を焼失する戦災により、社殿を焼失した。

 第二次大戦後は、
軍国主義施設とみなされるのを防ぐ目的で頌徳神社に改称した。

 主権回復後の昭和27年(1952年)に千葉縣護國神社に復称した。

 昭和42年(1967年)9月30日、亥鼻山から現在地に遷座した。

 平成8年(1996年)、神社本庁の別表神社に加列された。

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