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福島県旧別格官幣社 霊山神社(りょうぜんじんじゃ) 棟梁 東海桃太郎
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当時は人力で、大勢で杭を立てています。 山の上に位置するため、造成、資材搬入には大変な労力が必要でした。
昭和14年 別格官幣社 霊山神社上棟式 陸軍将校も列席してます。 昭和14年7月  霊山神社御造営 京都奥谷組 左から3人目 桃太郎 
霊山神社御造営 関係者 御造営中の写真 当時は簡易な足場囲いでした。
檜皮葺き 現在はこの上に鋼板を張っています。 拝殿側面 軒の流れが美しく参拝者は息を呑みます。
見事な彫刻です。 洗練された工匠の技を感じます。 鬼板(木製の棟飾り) 拝殿正面の棟、一番目に付く所に飾られています。
御造営当時の霊山神社拝殿 現在の霊山神社拝殿
拝殿内 荘厳な雰囲気が感じられます。 感状 昭和15年11月7日 別格官幣社霊山神社宮司より。
 福島県旧別格官幣社 霊山神社(りょうぜんじんじゃ)〜御由緒・沿革〜
 霊山神社(外部リンク)

福島県伊達市霊山町にある神社である。

旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁の別表神社。建武中興十五社の一社。

祭神
北畠親房公(大納言)
北畠顕家公(北畠親房の長男・権中納言・陸奥守・鎮守府大将軍)
北畠顕信公(北畠親房の次男・春日中将・陸奥介・鎮守府将軍)
北畠守親公(北畠顕信の次男・大納言・陸奥国司・)

 明治9年。明治天皇による東北御巡幸の際に、伊達郡桑折町の半田銀山より遙かに霊山をのぞまれて、義良親王と北畠一門の霊を弔い、北畠一族を祀る神社の設立の義が生じたことにはじまる。

 明治12年に信夫伊達両郡の信達地域の民は北畠一門を祀る神社創建を政府に請願。

 はじめ霊山山頂に定められたが、霊山支城の古屋館旧跡に明治14年に「霊山神社」創建。明治18年に別格官幣社に列せられた。
 

明治41年には皇太子(大正天皇)が御登山御参拝をされている。

 

霊山神社例大祭(春季) 北畠顕家が陸奥国府を開くため義良親王を奉じ、

多賀城から霊山城に入城した際、一族、郎党の家運隆盛、武運長久を祈って奉納した剣舞が伝わったものといわれる濫觴武楽(らんじょうぶがく)が奉納される。

白鉢巻きに白だすき、袴姿もりりしい少年たちが、太鼓の音に合わせ太刀を天空にかざして進む、古式ゆかしい舞いである。

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