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玉野市八浜町 与太郎神社 棟梁 東海桃太郎 
詳しくご覧になりたい場合は、各写真をクリックして拡大して下さい。
玉野市八浜町大崎にある与太郎神社です。前にはバス停「与太郎様」があります。 昭和35年、東海桃太郎が改築させて頂いた社殿です。棟梁桃太郎の技術を今に伝えています。
多くの足腰の病気で悩みを持たれた方が参拝されています。 千羽鶴もご覧の通りです。与太郎様へ直接お参りできない人は、葉書や手紙でも、願いを聞いてもらえるそうで、宛先は「玉野市与太郎様」で届くそうです。
東海建設の初詣は与太郎様に詣でます。 境内は掃き清められており、独特の雰囲気があります。
名物与太郎せんべいです。お土産にいつも買って帰ります。          

宇喜多与太郎基家公の戦史碑文
 岡山県玉野市八浜 与太郎神社 〜御由緒・沿革〜
与太郎神社

 八浜町大崎にある足腰の病を治してくれると信仰を集める神社。
境内に足を踏み入れると、無数に掲げられた絵馬と千羽鶴が目に入る。
「腰痛が治りますように」「足がよくなりますように」など・・・。

 祭られているのは、宇喜多与太郎基家。
1581年、八浜合戦で討ち死にした若武者だ。

 戦国時代に岡山の宇喜多勢と安芸の毛利勢がこの地で激突、
宇喜多勢の総大将・宇喜多与太郎基家は足を失傷し竹やぶへかくれたが、
探索の武士に村人が居場所を教えたため、与太郎は捕らえられた。

 その後村人が与太郎へのおわびと供養のためまた足の悪い人を救うため
与太郎塚を建立した。

基家の最後にはこんな伝説が残されている。

 手負いとなった総大将・基家は、大崎から八浜に向かって落ち延びる途中、
竹やぶを見つけて身を潜めていたところ、毛利の追っ手がやって来た。

 追っ手は近くの農民をつかまえて、基家の居場所を迫った。 
怯えた農民は黙ったまま竹薮に視線をやり、あごで方向を示した。

 基家は見つかり、討ち取られてしまった。
戦で重傷を負っていたうえ、カッケを患っていたともされ
逃亡は困難だったという。

 基家の死後、村にろうあ者が生まれる様になり、祟りだと恐れられる。
村人は供養のために社を建立。いつからか足腰の神様として
信仰を集めるようになった。

現在は足腰の病気を治す神さまとして、信仰を集めている。

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